太田さんのペンションには3回行った。
一度は子供を連れて遊びに、あと2回は一人で行ったと思う。
太田さんはいつでも暖かく迎えてくれたけれど、音楽の話になると
食い違うところがあった。
覚えていることの一つは、
私が「録音した音はリバーブがついていた方がいい」
と 言った時に太田さんは「何でそんなものが必要なんだ?」と言った。
僕は音は聴きやすい方がいいと思っていたからそう言ったのだけど、
太田さんはそうではなかった。
今としては太田さんの言いたかったことはわかる。
そんなものより歌をちゃんと歌え、ということだと思うけれど、
でも音は聴きやすい方がいいと今でも思っている。
もう一つ覚えているのは、太田さんが(誰だったか忘れたけれど)
「歌はこういう高い声で歌う方が聴いてて気持ちがいい」と言った時、
それは確か学園祭の時だった。
私は高い声が出なかったから、私は
「そうですか?僕は低い声の歌も好きですし、気持ちいいです」
と言ったら「それはお前・・・」
「だいたいお前の歌ってるのを聴いてると苦しくなるんだよ」
と言われた。
それは確かなのだけど、
ギリギリのところで声を出していたから。
だけどそれを言われてから歌を歌うのがいやになった。
太田さんとは1年の時からの付き合いだった。
最初に一緒にキングストンのバンドやろう、と言ってくれた。
だいたい私はキングストン・トリオにそんなに詳しく無かったのだけれど、
何も考えずにやることにした。
あの頃、ギターとバンジョーだけは弾けたけれど、歌は得意じゃなかったし、
英語の発音だってひどいものだった。
でも太田さんも柴田さんも私が一緒にやることに苦情も言わなかった。
一緒にやることはとても楽しかった。
でもちょうど1年が経って他のこともやりたくなってバンドを辞めた。
その後はアイムユアーズをやってきたわけだけれど、、
辞めて良かったと思う。
太田さんとの付き合いは長いのだけど、そのうち喧嘩したかもしれないから。
太田さんは練習の後はスカイラインで家の近くまで送ってくれた。
私は助手席で寝ていた。
太田さんは怒らずに起こしてくれた。
太田さんのお母さんのお葬式に行った。
私は仕事で遅くなってしまい、
もう告別式の片づけをし始めていた。
私が車を停めて式場に駆け込んだら、親戚の人が太田さんを
呼んでくれた。
太田さんは奥から走ってきて、
「おお!粉川、よく来てくれたなあ!」とあの太い声で言ってくれた。
それから時が過ぎて、長野の太田さんのお葬式に行った。
その時はもうずいぶん会っていなかったと思う。
式場に入って遺影を見ても実感が無かった。
太田さんにはいろいろ謝りたかった。
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