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04「ニックネーム Best 5 & More」

  ASFには発足当初から“親しみを込めて”などという次元を越えて、幸か不幸かニックネームでしか呼ばれなくなった者たちがいた。姓や名に由来するならまだしも、いずれも本名からは遠くかけ離れており、やがて本名は忘れ去られ、ニックネームだけが生き長らえた。ここではその“ベスト5”、および“次点”となる2件を挙げてみることにする。

*第1位「棟梁」=坂田 実(70年入学)

  「地下部室占有」(#02)の項にある通り、その際に土建屋の親方のように采配を振るったことによって、その場でこの名が与えられた。「棟梁」という呼称自体が役職名であり、ある種の敬称でもあるため、後輩に至るまで誰も「棟梁さん」と呼ぶことはなく、終始「棟梁」と呼び捨てにされた。本人にとっては痛恨のニックネームであったろう…。

*第2位「キタロー」=宇田和弘(70年入学)

  ASFの初期も初期、「弁論部」部室に仮住まいしていたころ、初代会長の中村裕昭さんが「キミ、ゲゲゲの鬼太郎に似てるねぇ」と言ったのが発端。やがて行われた歓迎合宿の宴会の際、全員が本名とニックネームを併記した名札を付けるように言われ、しょうがないのでみずから「キタロー」と書いてしまった。以来、本名で呼ばれたことはない。人生のうちでも致命的なミステイクである。いまだに「宇田キタロー」が本名であると信じて疑わない者も多い。

*第3位「タヌキ」=村田澄江(70年入学)

  人間でなく、妖怪ですらなく、なんと動物である。この非道なニックネームの命名者は「キタロー」だった。「見るからにそう見えたから」とは「キタロー」の弁だが、うら若き娘に与えられたこの名を、親御さんが聞いたらどう思うだろうか…。あまりにも可哀相だと感じた同級生は、親しみを込めて「タヌ」と呼んだが、後輩たちは「タヌキさん」と呼ぶわけにもいかず、混沌のうちに青春時代が過ぎていった。興味深いことに、上位3名はいずれも山口県の出身者である。

*第4位「師匠」=富田喜代治(70年入学)

  ASFの中では、唯一、ポジティブな響きを伴うレアなニックネームだ。富田がWe Cheeseの同僚メンバー、松島千枝子(aka チコ)と「情報科学」の授業を一緒に受講していたおり、講義内容が皆目理解不能だった松島に対し、わかりやすく指導・解説したことによる。感激した松島が以来「師匠」と呼び始めたのだが、この名は元来、温厚な性格、ソフトな物腰の富田そのものと言ってよく、やがて本名は一切語られなくなった。一度でいいから、「師匠」の着流し姿を見てみたいものである。

*第5位「ナヌ」=本間 栄(70年入学)

  仙台出身の本間は、しばらく東北訛りが抜けず、あるとき「ナニっ!」と憤りの感情を表すべきところ、思わず「ナヌッ!」と口走ってしまった。すかざず前出の「棟梁」がこれを彼のニックネームとして喧伝し、瞬く間に広まっていった。まさしく「注意一秒、怪我一生」である。不要な妄想だが、「ナヌ」という文字をじっくり眺めていると、「ウナギイヌ」を思い出す。

*次点①「バルサン」=山口雅志(70年入学)

  71年夏、野尻湖合宿の際、部屋に虫が出て困るというので「バルサン」を焚いた山口。合宿に「バルサン」を持参しているという驚異的な用意周到さ、並外れた経験豊富さに敬意を表してこの名が与えられた。命名者はその場にいた全員。誰もが感服したということである。

*次点②「ねずみ男」=石井 満さん(68年入学)

  先輩に対して、これは失礼千万であろう。面と向かっては口が裂けても言えたものではないが、「似てるねぇ」「キャラクターも近いねぇ」等々、陰口は後を絶たなかった。ニックネーム大賞「シークレット部門」の第1位に値しよう。石井さんが「キタロー」と話していると、誰とは知れず、どこからか失笑が洩れたものだ。

  このほか「フランケン」(粉川和夫)、「デロリンマン」(松尾喜代志)、「ミスター・シャトー」(佐藤和仁)など、短命に終わったものの、印象に残るニックネームも多々あった。もちろん女子組にもいろいろあったのだけど、ご当人たちの尊厳を慎重に考慮し、あまりにも有名だった「タヌキ」を生贄に捧げて、ここでは割愛させていただく。なお、みなさんによるこれら以外の勝手な投稿は、管理者の責任でないことを条件に、全く自由である。


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