あらかた整理が終わると、そこには想像以上のスペースが出現した。まだ少々の廃材を残していたが、それらは脇に押しやり、部屋の右側を占拠して部室の確保に成功。徐々に構内のあちこちから椅子、木製ベンチ、ソファーなどを次々に(勝手に)拝借してきた。廃材を利用してギター置き場を作り、カーテンを吊して左側に残った廃材との間仕切りにした。こうして日を追うごとに、学館階上の公認クラブの部室よりはるかに広いうえ、すこぶる快適なホームグラウンドが出来上がった。秋ごろにはさらにスペースを広げて、他サークルも羨むばかりの“音楽専用ロビー”が誕生している。
ある程度の廃材を残し、部屋全体を占拠しなかったのは、有若さんの賢明な判断だったと言える。出来たてのサークルがこれだけのスペースを確保していては、文連もしくは他団体からクレームがついて当然だろう。占有後、間もなく「古都探索会」というサークルが左側を使用することになり、これで公平に部室を“シェア”しているという既成事実が出来上がった。幸い「古都探索会」はさほど活発な活動をするサークルでなかったお陰で、部室内、および学食から距離のあるその周辺は、バンド練習やジャム・セッションの格好の場となった。
部室占有の際、有若さんの他に大活躍した男がもうひとりいる。坂田実(70年入学)だ。山のごとく積み上がった廃材の上に立ち、率先して搬出の指示を出して、現場を取り仕切った。その後、廃材を利用してギター置き場をあれよと言う間に作ったのも彼である。その様子はまるで大工か鳶職の親方のようであり、即座に「棟梁」というニックネームが与えられた。以後のASFで、彼の名を本名で呼んだ者はいない。
「古都探索会」 !
返信削除なんという・・、涙が出る ! 懐かしい ! ! !
棟梁ってそういう事だったのか !
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