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2017年1月3日火曜日

■A.S.F.


このブログ形式のサイトは、1970年から1973年の間、青山学院大学に存在した公認音楽サークル“Aoyama Singing Folk”(略称:ASF)の、自称“公式ホーム”です。ASFは、現在も活動を続けているAFW(青山フォークウェイズ、1974年初頭に設立)の母体になったサークルですから、その歴史はこの文を書いている時点で46年以上を数えることになります。おそらくは間もなく半世紀を超え、さらに長い歴史を重ねていくことでしょう。


  しかし、そこまでの長きにわたって、ASFAFWのストーリーが、正確に伝えられていくとは限りません。現にインターネット上には、“AFWは××(伏字=ある有名ミュージシャン名)も在籍したAFTを母体にして…”といった誤った内容の書き込みも見られます。AFT(青山フォークサークル「出発~たびだち」)は、ASFよりも数年あとに発足した、ASFAFWとは何の関係もないサークルです。

  そうした誤認識の原因と責任の多くは、これまでの歴史を正確に伝えてこなかった旧メンバーたちにあるでしょう。とりわけ1970年、ASF発足当初のメンバーが、それぞれの記憶を心にしまい込んだままでは、事は何も進展しません。

  というわけで、このサイトはおもに1970年~1973年の間、ASFあるいはAFWのメンバーだった面々による記憶と記録を残していくために制作されています。基本的な構成は、ASFの誕生からAFWにつながるまでのタイムラインに沿ったクロニクル(年代記)、およびその間の数々のエピソードや画像が中心です。また、オープンリール、カセットによる膨大な量のテープ録音も現存しているので、今後、順次データ化され、公開されていくことになるでしょう。

  サイトの管理および制作は、粉川和夫(70年入学)が担当しています。年代記の各項目のうち、特に記名のないものは宇田和弘(70年入学)が執筆しました。次第に薄らいでゆく記憶の検証、および当時のメンバーたちへの取材・確認作業は大橋千枝子(旧姓・松島、70年入学)が中心になって行いました。

  なお、70年の入学生が中心に制作を進めたため、敬称は1969年以前に入学された先輩の方々に限って使用しています。また、以下の文中にあるお名前は、旧姓で記載せせていただいたことをご了解願います。

  人生の折り返し点をとっくに過ぎた70年~73年の間のメンバー(残念なことに、物故者がいく人もいます)にとっては、この上なく懐かしい思い出のアーカイブになっていると思います。その一方で、このサイトにはその後のメンバーや、現在AFWで活動している学生諸君、今後AFWのメンバーになるであろう人たちにも伝えたい、残しておきたい事実も多く含んでいます。メンバーの新旧を問わずご覧いただき、ご遠慮なくそれぞれの関連項目にコメント投稿・感想、ご意見・ご指摘などを賜りたいと思います。同時に、本サイトが自由でオープンなものとして更新が続けられ、ネット上に長く残っていくことを願っています。

※コメントは書き込めないようになっていますが、ご意見や寄稿がありましたら
 下記メールアドレスまでお送りください。掲載させていただきます。

※また間違いや問題点がありましたらお知らせください。
   kogawa@yokohamadubbing.sakura.ne.jp 
2023.12.13


1 件のコメント:

  1. 2020年入学し、AFWに入りました。AFWの歴史に興味があり、このサイトを見ました。サザンのメンバーがかつて入ってたっていう噂も聞きました。現在もAFWは人数は他の軽音団体と比べて少ないですが、元気に活動しています。今年(2022年度)に入ってからは、通常は100人超えの軽音団体が独占していた「青山祭テーマソング」のタイトルを奪うことができ、MVの方も例年とは違う方向性でありながらも、最も完成度の高い作品になっています。少しずつですが、長い歴史の間で静かになりつつあったAFWの認知度は上がりつつあります!

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