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#05 ■1970.7~8  初の夏合宿

  長野県・白 樺湖近辺にて1週間程度、 初めての本格的な合宿を行う。投宿先は失念…(誰か覚えてますか?)。その合宿前、部員共有のアコースティック・ベースを購入している。茶木(Chaki)製、4/4スケールの フルサイズのベースで、やたら大きく、また非常に重かった(3/4にしておく というアイデアはなかったのか?)。メンバーの大半は電車で中央本線・茅野駅で下車、そこからバスをチャーターして現地へ向かったと思う。メンバーのギ ターおよび大物のベース、機材等々は、有若さん(ご本人の記憶によれば他1名が同伴、 おそらく「棟梁」か?)が、トラックで現地まで運んだ。

  この合宿で はバンド練習のほか、有若さんの指揮・主導による全員コーラスの練習にかなりの時間が割かれた。曲はユニゾンで歌う「カレッジ・ソング」、二部もしくは三 ~四部の混声合唱で歌う「グリーンスリーブス」と賛美歌405番「神とも にいまして」の3曲。いわば “シングアウト”の原型が、この時初めて実践されたとも言える。

  しかし、こ れには特に1年生からの 反発を浴び、「ぼくらは合唱サークルに入ったのではない」「バンド演奏が主体のクラブではなかったのか?」と、有若さんはじめ3年生に直談 判。その時初めて、創立者たちが想定していたASFそもそもの 主旨が、コーラス(全員での合唱)であったことを知る。これには驚いたが、最終的には後輩たちの要望を採り入れていただいた。


  有若さんは 少々落胆されたかも知れない。が、こうした機会がなければ、「カレッジ・ソング」を覚える者は少なかったろう。賛美歌については、かつて有若さんがマンド リン・クラブに在籍していたとき、「青学の音楽サークルはどこだろうと、必ず賛美歌を歌うものだ」と教わったのだそうだ。405番は中でも 特に有名な1曲で、クリ スチャンでなくとも知っておいて損はない歌だ。今にして思えば、有若さんに感謝である。


  また、この 合宿の前に太田恒寿さん、坂井幸雄さんら、2年生メン バー(69年入学)も増え、1年生に偏っ ていた部員構成のバランスがかなり整う。最初のガリ板刷り「名簿」が作られたのも、合宿前後、青山祭の前だったか?  すでに60人の部員名 の記載がある。

  合宿の最終 日は「発表会」。広間にマイクをセット。掲載写真でおわかりと思うが、ボーカル用のマイクを数台のギター・アンプに繋いでいる。合宿の中日あたりに、野外 でキャンプファイアーをやった記憶もある。周辺に配慮したか、アコースティック・ギターとベースでベンチャーズやブルース・ロックもどきを弾きながら、み んなで踊った。まだ初々しさのあるASFの合宿だっ た




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