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2022年3月14日月曜日

部室

 理工学部からのバスは西門?の所から入って守衛所のところに停まった。
そこから学生会館の方に歩いて行って、学食側から暗い地下の廊下を行くと
一番奥に部室があった。
部室の左側の古都探索会の会長が私と同じ学科の同期だったので時々
一緒に行ったと思う。彼が古都に興味があったのは知らなかった。
いつもドイツのこと話していたし、ドイツの歌を口ずさんでいうたから。
もうずっとドイツのマックス・プランク研究所にいる。まだインターネットが
自由な頃、研究所の全然知らない人に「彼にメールをくれるように言って
くれませんか?」とメールしたら彼からメールが来た。漢字ができないらしく
ローマ字で書いてきた。それももうずいぶん前。今はどうしてるか?

部室に行くといつも何人かがいてギターを弾いたり歌ったりしていた。
10人もいると狭かったような気がする。
壁側のベンチに座って誰かが歌うのを見ていた。
松尾、キタロー、橋本、あと誰?、がよくセッションしていた。
クリームのホワイト・ルームとかよくやっていたように思う。
今思うとあの空間で皆タバコを吸っていて最悪の空気だったように思う。

小松沢が最初に現れた時のことを覚えている。
私が壁の椅子の所に座ってギターを弾いていた。部屋には他に何人かが
いた。そこに入口からデカいやつがニコニコしながら入ってきた。
デカい声でなにかまくしたてていた。
僕のところに来て何か話したと思う。何を話したかはっきり覚えていない。
でも彼がバンジョーを持っていて好きなジャンルが同じだったのは覚えている。
そこからだ、彼との付き合いは。

私は部室を皆で作った時は居なかった。
たぶんその頃は理工学部から出なかったからだと思う。
そのうちシャトルバスがあることを知り、授業が終わったら
渋谷に行くようになった。
最初に行ったクラブはブルーマウンテンボーイズだった。
どこかの教室で練習しているところに行って話をした。
自分がブルーグラスやマウンテン音楽を好きなことを言った。
全く興味を示してくれなかった。
話を終えて部屋を出たけれど、全く入りたいとは思わなかった。
たぶんそのあとASFに行ったのだと思う。
その時誰が対応してくれたのか覚えていない。誰だったろう?
とにかく入るならこっちだな。と思った。
その時は既に部室は出来上がっていた。

あの部室に何度足を運んだかわからない。
細かなことは忘れてもあの雰囲気だけは覚えている。

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