私達が入学したころはベトナム戦争のちょうどど真ん中でした。
だからと言って学校では特別なことをした記憶がありません。
教室やどこかの講堂でのんきな歌を歌っていただけでした。
たまに反戦歌、プロテストソング、メッセージソングなどを歌ったとしても
それはファンションでしかなかったようにも思います。
あんな狭いところで歌っていて何かに影響したとは思えません。
しかし、あの時そういう歌を歌ったという事実は残ったかもしれません。
それが対外的に何の影響も与えなかったとしても、あの時代には
何かしらのメッセージソングがあり、それを歌っていましたから。
自分の中にはその意識があり、自分の意見として歌っていたと思います。
私は青山に入るまで、新宿西口や吉祥寺駅構内や井の頭公園野音で
仲間とメッセージソングを歌っていました。
時には警察や鉄道公安に追い出されながら、あるいは大勢の人の前で
ギターを持って歌っていました。
明らかに反戦歌でありベトナム戦争に反対する意思で歌っていました。
しかし新宿はそのうちに安保条約問題や学園の自由問題や労働組合問題や
成田問題やもろもろの社会問題を(大)学生や労働者や組合などの人達
が持ち込んできたため、平和的な歌の集まりではなくなってしまい、
結局警察に締め出されてしましました。
でもあの歌の集まりはもともと平和に歌を歌って平和を願うものだった。
まあ、少なくともそのつもりでした。
新宿が無くなっても井の頭公園では歌の集まりは続いていました。
だけどそれにしたって、平和のために何かの役にたったかどうかは
全く疑問です。
役には立たなかったかもしれないけど、自分の意志として歌を歌って
いたという事実は記憶の中に残せました。
今、ウクライナでは子供達や人々が戦禍にみまわれています。
かといって彼らの為に何かできることがあるかというと
たぶん直接何かできることは無いように思います。
せいぜいどこかのSNSで思いを書き連ねることぐらいです。
しかし、ここに至ってなお私は歌を歌おうと思います。
少しでもこの時代を記憶に残すために。
また彼らに平和が来ることを祈るために。
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